こんにちは!よっぴです。
今日は、「人間の成長とは身体ではなく精神の成長のことである」というテーマについて書いてみたいと思います。
人間に限らず、この世の生物は生まれてから成体へとどんどん成長します。
それは外から見てはっきりわかる進化です。
しかし、ある一定の月日が経つと、ほとんど見た目に関しては大きな変化が見受けられなくなります。
むしろ一定水準を超えると退化しだしますよね。
そもそもなぜ大きくなり、その後退化するのでしょうか?
そして人間社会という中では、同い年の中でもとても同じ時間を生きてきたとは思えないほど、人と人は大きな差が生まれるものです。
50歳を過ぎて、ある人は大企業の幹部になり、ある人は酒に溺れて独身で4畳一間のアパート暮らしとなり・・。
大げさな例ですが、決してあり得ない話ではなさそうですね。
1. 人間の成長とは身体ではなく精神の成長のことである
2. 精神の成長とは?
3. 精神の成長に必要な要素3つ
1.人間の成長とは身体ではなく精神の成長のことである
見た目は大人でも、中身はとても目上の人とは思えない、敬えない人に出会ったことはありますか?
おそらく誰しもがひとりくらいはそういう人に出会ったことはあるでしょう。
下手したら“親”という超身近な人でそういった経験をしている人もいるかもしれません。
しかし、自分より何十年も多く生きているのにこういった現象が多々あるのはなぜでしょうか?
肉体は生まれてから普通に3食きちんと食べて生活していれば普通の人はどんどん成長します。
しかし、この社会ではどうも年齢と身体の大きさで人を判断することはなさそうです。
逆に自分より若くても非常にしっかりしている人もいます。
この違いにはなんでしょうか?
会社とかであればその会社や仕事の経験や知識、実績だったりします。
では人間という生き物としては?
これは精神の問題だと考えます。
精神とは具体的に何なんでしょうか?
検索してみると、「人間の心。非物質的・知的な働きをすると見た場合の心。」「生命や宇宙の根源と考えられる、形而上(けいじじょう)の存在。」と2つ出てきます。
面白いですね。
人の心と宇宙が同義で扱われています。
でもこの2つからおおよその事が推定されます。
人間を初め、生命は宇宙の進化の歴史の中で生まれてきます。
そして、それらの根源的な存在が精神であり、人の心と読み取れます。
2.精神の成長とは
このことから、精神の成長とは心の成長と考えられます。
では心とはいったいなんでしょうか?
物質的な意味だと心臓を指しますが、実際は目に見えないものを指しますよね。
それはどこにあるかもわかりません。
よく言われるのが胸の奥か頭かです。
心という言葉を調べてみると、宗教的な意味や、いくつか出てくるものの中で面白いものがあります。
それは、人間の精神作用のもとになるもの、人間の精神の作用そのもの、知識・意思・感情の総体。
また精神という言葉が出てきましたね。これだとちょっと振り出しに戻りそうです。
しかし、知識・意思・感情の総体というのは自分の中でしっくりきます。
精神の成長、心の成長とは、例えば極端な例ですが、生まれてからずっと部屋に閉じこもった状態で、一切の勉強もすることなく、人と関わることもなかったとしたら、心は成長すると思いますか?
おそらく、何も感じることなく、知ることもなければ、考えることもないので欲求に忠実な動物と同じレベルの状態だと思います。
逆を言うと、いろいろなことを学び、いろいろな人と関わることによっていろいろなことを感じ、考えることによって人というのはその心がたくさんの状態に変化します。
その変化が正しい形になることが成長と言えるのではないかと思います。
3.精神の成長に必要な要素3つ
(2)経験
(3)思考
人との関わりなくして心は成長しません。
これは、どんなにある分野に秀でていて知識が豊富だとしても、偏屈で捻じ曲がっていれば、それは頭が良いのかもしれませんが心が豊かだとかってことにはなりませんよね。
まずは人との関わりというのが前提にくるものだと考えます。
そしてその中で感じ、考え、学ぶことによって心は上のステージへと上がるのですが、何も考えないと、それらの経験は感情的な反射的なものになってしまいます。
ですので、その経験から、思考という要素を加えることによって成長へとつながります。
お釈迦様やガンジー、ナイチンゲールと言った名前はご存知ですよね?
こういった人たちは、なぜその名前が未だに残っていると思いますか?
今までの世の中で、人は数えきれない程の数だけ生まれては死んでいってます。
彼らの足跡はネットで調べれば出てきますが、共通して言えるのは高い精神性を有しているということです。
おそらく、人の生きる目的と言うのは、精神の成長を遂げることなのではと思うのですが、この考えを否定するなら、それは人の生きる目的は欲望の赴くままに楽しむために存在するということになります。
中には後者のような考えを持つ人もいますが、人はある時に気付きます。
気付かないまま生きている人は悲惨な結果が待っています。
これはひとつの法則なのです。